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山内 房治郎(やまうち ふさじろう、1868年6月[1][2] - 1944年1月[3])は、任天堂の創業者として知られる実業家。

概要[]

明治時代に生まれ、任天堂の前身となる花札商店を創業した大実業家。任天堂を受け継いでいった彼の子孫とその家系は後に「山内家」として崇められることとなる。

経歴[]

明治元年(1868年)に京都府人、福井宗助の長男として生まれる。明治5年(1872年)に山内猶七の養子として迎えられ、明治14年(1881年)に山内家を相続。明治19年(1886年)に本田コマと結婚し、翌年に長女の"貞"を設ける。

実家である福井家が土木建築業を家業としていたため房治郎もそれを手伝うようになり、明治18年(1885年)にセメント工場「灰岩」での手伝いをするようになり、この灰岩を後に房治郎が継いで拠点を移し、「灰岩本店」として基盤を作り同社の"創業"という形になった。のちに山内積良の娘"孝"から名を取り「灰孝本店」と屋号を改めて灰岩を継承、現在もなお山内家の手により存続し続けている。

事業意欲が旺盛であった房治郎は、明治22年(1889年)に花札屋を創業。「煙草王」の異名で知られる旧知の仲の村井吉兵衛と提携し、煙草の景品に花札をつけることで相乗効果によりお互い事業が拡大されていく。この花札屋商店こそがのちの「任天堂」となっていく。[4]

脚注[]

  1. 人事興信所『人事興信録 9版』より。
  2. Wikipediaでは「1959年11月2日」とされていたが出典不明。
  3. Wikipedia等サイトでの表記だが出典不明。
  4. 灰孝本店と任天堂の基礎を築いた山内房治郎(山内一正さん) - 明治150年京都のキセキ

関連記事[]

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  • 山内積良 - 息子、第ニ代任天堂社長。
  • 山内溥 - 曾孫、第三代任天堂社長。